雨の恵み(野外礼拝) [礼拝]
今日は野外礼拝の予定でしたが
雨のため会堂での礼拝となりました。
思考をこらして、ちょっと野外礼拝のように下に座ってみました♪
今日のみことばはヨハネの福音書1章から。
お昼は去年好評だった「芋煮」。!
美味しくいただいていますかぁ~??
味わった後で、カレー味にし、うどんを入れました。
よそるの大変!!飛び散るとびちる!!
お昼のあと、コーヒーやココアを飲みながら語り合い、
自由解散~。
とっても楽しい時間でしたね♪
今日は雨だったから来ることが出来た方もいらっしゃり
午後には久しぶりに来た「ほしの子クラブ」の卒業生も来てくれました♪
振り返ると神様の恵みがたくさん。
初司会のY兄も、手に汗握りながら(←本人曰く)
みごとに司会の役を務めてくださり、感謝でーす!!
2006年、熊谷教会便りにこんな記事が載っていました。
熊谷便り2 「野外礼拝、雨天中止の恵み」
主の御名を賛美いたします。
野外礼拝が計画されていた5月最後の日曜日、あいにく午前中雨模様だったため野外礼拝は中止になりました。ところが、野外礼拝のことを知らずに、いつも通りに礼拝に集った方もいらっしゃり、いつもと変わらずに礼拝をささげる恵みを味わいました。
礼拝が終わる頃、雨が止んだため、礼拝後に荒川の河川敷に出て行ってみんなでバーベキューをしました。いろいろな人の普段とは違う面もみられ、子どもたちは遊びまわり、楽しいときを過ごしました。こういった楽しいこともどんどんやっていこうとその後の話し合いでみんなで話し合いました。
みんなで聖書を学ぶという一見ちょっと堅めのことも、バーベキューのようなレクリエーションも、同じようにみんなで喜んでできるといいなぁと思います。みなにとって教会が様々な意味で安らぎの場となることを願います。
教会というのはとても不思議な場所です。年齢、性別、学歴、職業、出身、様々な人が集います。誰も強制されているわけではありません。ただ神様を信じるというその一点で集っているのです。ですから当然それによる難しさもあります。揉め事だって起こります。にもかかわらずときに素晴らしい交わりがあります。「ぎこちないけれども愛し合おうとしている人々の集まり」、あるとき小澤師が教会を表現した言葉ですが、私の中で的確な表現だなぁと残っています。私たちはみな完全な愛をもっていませんが、兄弟姉妹として互いに愛し合いなさい、赦し合いなさい、仕え合いなさいという主の勧め(命令?!)に基づいて集まっているのです。それがときに教会において主の栄光をあらわす結果をもたらします。熊谷教会もそのような交わりでありたいと思わされます。
『見よ。兄弟たちが一つになってともに住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。…主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。』
(詩篇133篇)
この教会の足跡のなかに
変わらない神様が居てくださることを確信し
これからも、愛にあふれる交わりを続けていきたいと祈ります・・・。
雨のため会堂での礼拝となりました。
思考をこらして、ちょっと野外礼拝のように下に座ってみました♪
今日のみことばはヨハネの福音書1章から。
お昼は去年好評だった「芋煮」。!
美味しくいただいていますかぁ~??
味わった後で、カレー味にし、うどんを入れました。
よそるの大変!!飛び散るとびちる!!
お昼のあと、コーヒーやココアを飲みながら語り合い、
自由解散~。
とっても楽しい時間でしたね♪
今日は雨だったから来ることが出来た方もいらっしゃり
午後には久しぶりに来た「ほしの子クラブ」の卒業生も来てくれました♪
振り返ると神様の恵みがたくさん。
初司会のY兄も、手に汗握りながら(←本人曰く)
みごとに司会の役を務めてくださり、感謝でーす!!
2006年、熊谷教会便りにこんな記事が載っていました。
熊谷便り2 「野外礼拝、雨天中止の恵み」
主の御名を賛美いたします。
野外礼拝が計画されていた5月最後の日曜日、あいにく午前中雨模様だったため野外礼拝は中止になりました。ところが、野外礼拝のことを知らずに、いつも通りに礼拝に集った方もいらっしゃり、いつもと変わらずに礼拝をささげる恵みを味わいました。
礼拝が終わる頃、雨が止んだため、礼拝後に荒川の河川敷に出て行ってみんなでバーベキューをしました。いろいろな人の普段とは違う面もみられ、子どもたちは遊びまわり、楽しいときを過ごしました。こういった楽しいこともどんどんやっていこうとその後の話し合いでみんなで話し合いました。
みんなで聖書を学ぶという一見ちょっと堅めのことも、バーベキューのようなレクリエーションも、同じようにみんなで喜んでできるといいなぁと思います。みなにとって教会が様々な意味で安らぎの場となることを願います。
教会というのはとても不思議な場所です。年齢、性別、学歴、職業、出身、様々な人が集います。誰も強制されているわけではありません。ただ神様を信じるというその一点で集っているのです。ですから当然それによる難しさもあります。揉め事だって起こります。にもかかわらずときに素晴らしい交わりがあります。「ぎこちないけれども愛し合おうとしている人々の集まり」、あるとき小澤師が教会を表現した言葉ですが、私の中で的確な表現だなぁと残っています。私たちはみな完全な愛をもっていませんが、兄弟姉妹として互いに愛し合いなさい、赦し合いなさい、仕え合いなさいという主の勧め(命令?!)に基づいて集まっているのです。それがときに教会において主の栄光をあらわす結果をもたらします。熊谷教会もそのような交わりでありたいと思わされます。
『見よ。兄弟たちが一つになってともに住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。…主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。』
(詩篇133篇)
この教会の足跡のなかに
変わらない神様が居てくださることを確信し
これからも、愛にあふれる交わりを続けていきたいと祈ります・・・。
2012-10-28 17:08
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